Glass of SHINDEN(シンデンの眼鏡)
古代中国漢の時代、董震電(とう・しんでん)という男がいた。
森羅万象に通じ『震電に知らぬもの無し』と言われるほどの博学ぶりであったという。

その彼が愛用していた道具の一つに、直径5cmほどの璧があった。
通常、壁は中央に穴を穿つものだが、彼の用いていた壁には穴は無く中央部が厚くなり、現代の凸レンズに近い形状をしていた。
彼は、特に興味を惹くものに対してはその壁を片目にあて、モノクル(片眼鏡)のように使用して納得のゆくまで観察を続けたと言う。

このことから、彼の使用していた璧を指して『シンデンの眼鏡』と呼ぶのだが、現在、我々の使用している屈折の法則がスネリユス(1581〜1626年)に発見され、その前進となる入射角と反射角の法則を発見したのがプトレメウス(85〜165年)とされている中、紀元前100年頃の人物が既にして現在の光学に基づいた道具を活用していることに、中国四千年の奥深さを改めて思い知らされるではないか。

その博識故に、幾度と無く戦場に呼ばれた彼は敵の用いる武器・武術・戦術等を悉く見破ったと言われる。
そんな彼の傍らでは彼の親友でも有り、また歴戦の武将でもあった大虎(たいこ)、木堅(もくけん)の二人が声を揃えてその博学ぶりに驚きの声を上げていたと当時の歴史書には書かれている。

そんな彼も天命には逆らえず、臨終の時を迎える。
死の直前まで、まだ見ぬ知識を求め床に伏せながらも書物を貪り読んでいた彼だが、最後に読んだ書物がアラブの商人から譲り受けた一冊の本であった。
その直後に、『天には天の、人には人の理有。
其を超えること、天に唾吐く所業也』と呟いたと伝えられる。

彼の死後、一つの噂が中国全土を駆け巡った。
曰く、『彼の壁を通して見れば全てのものが見通せる』、と。
それと時を同じくして、彼の墓は盗掘に逢い副葬品は全て奪われてしまう。
また奇怪なことに博識者と呼ばれる人々が、次々と不可解な死を遂げている。
その死体に共通することは、片目の部分から頭が吹き飛んでいるということであった。

なお、賢明な読者諸氏なら既にお気付きであろうが、『御眼鏡に適う』という言葉が、この震電の行動に由来することは言うまでも無い。

民明書房刊 『眼鏡〜歴史を見通す道具〜』より抜粋